監督実習に学んで
Sさん記
長男・長女と子供二人いますが、私がものの考え方に疑問を待ったのは何時だったでしょうか。長女が小学校入学前後だったと思います。何故、子供を叱っては後悔し、それを補うように甘やかしてしまうのか。何故、同じ失敗でも他人は平然としているのに、私は必要以上に落ち込んでしまうのか。自己嫌悪や対人恐怖で、とても息苦しい毎日を過ごしていました。
長女が中学生の頃、合唱団員だった長女の送迎の際に、時間潰しで入った市立図書館で「アダルト・チルドレン」の本を見付けて読んでみると、自分に思い当たることがいっぱい書いてありました。もっともっと自分のルーツを知りたくて心理学本を貪るように読んでみましたが、息苦しさの原因が分かると同時に、私の生育歴に関わった大人達への憎しみが日に日に募っていったのです。それは以前にも増して苦しく、そんな思いで思春期の子供達と関わらなければならなかった。子供時代の辛い出来事が事あるごとに蘇り、自己憐惘の毎日。感情のコントロールが難しく、子供や夫の些細な言動で腹を立ててはまた後悔して、そんな自分に苦しむ。私がこの家族をダメにしてしまうと、自分の存在が堪りませんでした。
そんな私に育てられながら子供達が高校生・大学生になった頃、市の女性センターからのカウンセリング募集を回覧板で知り、私は飛び付くように申し込みました。それから2年半ぐらいだったでしょうか、月に1・2度のカウンセリングを受けたのです。それが、私とカウンセリングの出会いだったのです。それまでは私自身を聴いてくれた人は誰も居なく、無理な説得や相手の価値観を押し付けられて私は何時も置き去りでした。カウンセラーは私自身を傾聴して下さるので、今まで経験したこともないとても大事にされている感覚が湧き、私の世界を自由に探索出来たのです。心の深淵にこびりついた澱が浄化されていき、今ある状況の中で私はどうしていきたいのか、自然に整理されていったのです。
フェミニストセラピーでのカウンセリングが終了すると、今度はカウンセリングを学びたい思いが募り、知人に全日本カウンセリング協議会のカウンセラー養成講座があることを教えてもらいました。研修コースまでは通信講座でカウンセリング演習・カウンセリング概論・パースナリティ理論・人間論人間関係論などの必修科目の単位を修得し、カウンセラー三級の認定をいただきました。専修コースからはセルフ≪自立≫カウンセリング研究所の監督実習に参加し、単位を修得しながら二級カウンセラーの認定をいただいたわけです。セルフでのピアカウンセリング体験・ケース研究・ファシリテーター体験、そして顧問の先生によるケース検討会と厳しくも実りある学習の中で、私自身の自尊心の回復と生きやすさへの変化・成長を、確実に実感出来ていったわけです。
理論と同時の体験学習は、私の対人関係の癖や考え方、またはどのようなことで傷つき怒りを覚えるかなど、私自身を映し出す場であり知っていく場でもありました。好ましい自分も好ましくない自分も、今ある自分をそのままに受け入れられてくると、不思議なことに相手の好ましくない部分もそのままに受け入れられるようになってくる。私の生育歴に関わった大人達にもまた生育歴があり、そうなるしかなかったのだと今は理解出来ている。何かに刺激されて自動思考的に昔の癖が出てくるが、それに気付いていれば対処の仕方も達ってくる。生きている限り問題は尽きないが、それへの対処の仕方がいつの間にか以前と達う建設的なものになっている、そういう自分に気付くのです。新しい自分との出会い・人との出会い、そして自己実現に向けて、セルフでの学習を続けていきたいと思います。
エンカウンターグループを終えてから1ヵ月
Iさん記
今の私はどうなっているのだろうと振り返ってみました。
受講中に家の建て替えでお引越しがあり、超がつくほど忙しい日々を送っていました。そんな中、一回でも多く出席したいとワクワクした気持ちで通っていました。
なかなか一歩の出ない私としては、たいした行動力だったと自分をほめてあげたい気持ちになりました。
はて?行動範囲も広くなかった私が、高田馬場まで毎週!身体がついて行けるかという心配をよそに通えちやったのです。
これがまずすごい事だなあ~って。
これって何か私をそうさせたのかなぁ‥・、。たぶん自分の事がもっと知りたかった。今こうしている自分はどうしてこうゆう自分なのかが知りたかった。
昔は、自分が嫌いで出来ない自分はダメな自分。いつも、まわりの事ばかりが気になって心は外へ外へと自分を後まわしにして合せたり、期待に応えようと頑張っていました。そのうちに大病をして、ウツな気持ちが続いていたのですが、「元気になりたい」と強く思うようになりました。
それからカウンセリングを受けて、少しずつ自分のことが見えてきて、自分の気待ちに気が付くようになりました。
エンカウンターの教室を受けながら、自分にはこんなにも自分を語りたいと思っている自分がいたんだって、ふたをして見えなくなって、どこへ行ったかもわからなくなっていた思いがあったんだって実感しました。
そして、涙を流しながら、自分の気持ちを味わう感覚は初めてでした。
自分に寄り添えた感じがしてうれしかった。
不思議とだんだんに自分に力が出てくる感じ。こういう自分でいいんだという思いに変わって行きました。
不安は出て来ますが、あるがままでいいんだと思えるようになりました。
私は自分の足で歩き出したんだなぁ~と最近思っています。
そして、変わってゆく自分がまわりから受け入れられるか?なんてまわりは従順な私を求めていたのではないか?そうでなくなったら今までの友達は私を受け入れてくれなくなるのではないか、なんて弱気になったりしています。
これって受身のわたしですネ。ここは変わっていないようです。
「ねばならない」ではなく、「こうしたい」という気持ちで歩んで行きます。
時間はかかると思うけれど、楽しみです。
ありがとうございました。
エンカウンター教室を終えて
Iさん記
病気をしてから生き方に対し、前よりもずっとこのままでいいのか?と思うようになりました。
頑張りすぎでこうでなければならないとワクをいっぱい作り、自分の事をうまく表現出来なくて、相手はOKだけど自分はNOで、いつも自分のことはあとまわしにしてきた私です。
身体あっての私だったのに、自分を全然犬切にしていませんでした。
だから私、変りたかったんです。
カウンセリングを受けて、自分に少しずつ気付かせてもらい、だんだんに私もカウンセリングについて学びたい、もっと自分の事が解りたい、人の事が解りたいと思うようになりました。
なかなか一歩の出ない私ですが、Kさんからお誘いを受け、神社でいただいたカール・ロジヤースの言葉「人を心から支えてあげようと思うならば、自分を受容できるように自分自身が成長しなければならない。」という言葉に後押しされて、エンカーウンターの教室に参加させてもらいました。
せきをきったように話したい。言いたい。私はこんなに辛かった。私はこうゆう人間。私は犠牲者。私は悪くない。私は良い人ete。自分を解ってもらいたかったと振り返ります。
その中で、自分がだんだん開放されてゆく場面を迎えました。
辛いこの瞬間、今この時を自覚しながら味わう。
涙がとめどなく流れ、白分か我慢していた事がこんなに辛らかったのに気付かなかった自分に気付き、この感情をどうするか、自分でも解らない。
だけど問違えなく私は自分の感情に向き合って味わった。辛かった自分は涙と共に穏やかになっていった。
人に言えないような事も、ふるえながら正直に話したり、言った後にこんなに自分の事を話してもよかったのかと怖くなったり、私は可笑しな事を言わなかったかと自問自答したり、動揺することも多かったですが、私の気持ちを整理して的確にお話して下さるH先生、ひたすら聞いてくれる皆さん。共感してくれたり、体験を話してくれたり、寄り添ってくれて、私はとても居心地が良く安心した気持ちでこの場に居ることが出来ました。
人の心の奥深さと一人一人が皆違ってあたりまえ、「自分はどうしたいのか?」を中心に相手の事を思いやりつつ自分の事を大切に正直に生きて行きたいと思いました。
自宅新築中の為、お引越しをして、父母と一時別の生活になり、主人、娘、息子と4人暮し、色々な事が新鮮で、開放感があり、変わってゆく私と並行している感じがします。
ありのままの自分でもいいんだよ~って言える日が来るのが楽しみです。
ありがとうございました。